大木伸銅工業の歴史
History
大木伸銅100年の歴史
1924 – 2024


OHKISHINDO HISTORY 1
1924 – 1941
大木伸銅の始まり
1924
大正13年
大木岩治が練馬区北町にて個人経営で
黄銅棒の製造を開始。
自動車の普及などを目の当たりにし、時代の変化を感じていた岩治。
そこで岩治は2年ほど続けた製材業から、近代化をし始める日本に欠かせない「伸銅」への転換を決心しました。
若き日の創業者 大木岩治
「消防組」に所属していた岩治兄弟。
前列中央が長兄の万太郎。
後列右から3人目が岩治。
1933
昭和8年
合資会社大木伸銅所設立。
現在の東武練馬駅前の敷地で創業を始めた岩治。
木材を利用した手製の機械や、譲ってもらった機械を改良しながら試行錯誤する毎日でしたが、着実に品質の精度や評判は上がっていきました。
板橋区徳丸工場を新設。黄銅棒に加え、黄銅板の製造を開始。
操業も順調に進むようになり、合理的な生産を目指すようになります。
それには資金だけでなく社会的な信用が必要であると考えた岩治は、個人営業から法人化を決意し、1935(昭和10)年「合資会社大木伸銅所」を設立。
この頃から岩治は大木伸銅を「総合伸銅メーカー」として発展させる計画を立てていました。
OHKISHINDO HISTORY 2
1942 – 1961
激動の時代
1942
昭和17年
大木伸銅株式会社設立。合資会社大木伸銅所を吸収合併し、資本金200万円となる。
製造方法の確立など、安定した生産を行うことができるようになった大木伸銅。
しかし世の中は安定した状況ではありませんでした。
第二次世界大戦の激化とともに、軍からの指令から多くの備品の製造の依頼を任され、工場は陸軍、海軍、軍需省の管理工場として指定されることに。
戦時下に稼働している工場は、急速に軍需色が濃厚になり、大木伸銅もその例に漏れず、労働時間も次々と延長されていきました。
徳丸工場事務所正面玄関前。前列左端が岩治
OHKISHINDO HISTORY 3
1962 – 2024
今日の大木伸銅になるまで
1962
昭和37年
埼玉県新座市に新座工場を建設。
戦前から思い描いていた、総合伸銅メーカーとして発展させる夢を実現させるべく、新座工場を建設。
翌年、現在の「大木伸銅工業株式会社」へ名称を変更しました。
1971(昭和46)年当時の新座工場
1974
昭和49年
オー・ケー・ビー株式会社の設立。
大木伸銅工業株式会社(O)、金商又一(現三菱商事RtMジャパン)株式会社(K)、米国ブレーズウェイ社(B)が出資し、群馬県利根郡月夜野町(現みなかみ町)にオー・ケー・ビー株式会社を設立。
現在は、大木伸銅工業の100%出資子会社として、アルミニウムの押出を主業に大木伸銅工業グループの一翼を担っています。
竣工当時の月夜野工場全景
1975
昭和50年
大木秀夫が第2代社長に就任。
オイルショックを機に高度経済成長が終焉、伸銅品市場は大幅な成長が見込られなくなりました。
第2次オイルショックによる長い不況を契機に、黄銅棒への特化戦略を模索して行くことになります。
1994
平成6年
徳丸工場閉鎖
1933(昭和8)年以来大木伸銅の屋台骨を背負ってきた徳丸工場は、60年余の歴史に幕を閉じ、黄銅板、条の圧延事業から撤退することになりました。
徳丸工場跡地は、2000(平成12)年に「マイカル板橋サティ」(現イオン板橋ショッピングセンター)として再出発することとなります。
2000(平成12)年 マイカル板橋サティ竣工祝賀会で挨拶する秀夫社⾧(当時)
2003
平成15年
大木宗治が第3代社長に就任。
バブル経済の崩壊、リーマンショック、東日本大震災、コロナ禍等数々の苦難を乗り越えて、安定した業績を継続できる会社に成長することができました。
100年に亘って先人達が築いてきた偉大な歴史を礎に、未来永劫生き残って行ける強い会社となることを目指して参ります。
2014(平成26)年、創業90周年記念式典
創業100年の
時を超えて、
未来を歩み続けて
行く為に
